2018年10月7日 ペテロの手紙第二 -偽りを見抜く-

主は私に仰せられた。「あの預言者たちは、わたしの名によって偽りを預言している。わたしは彼らを遣わしたこともなく、彼らに命じたこともなく、語ったこともない。彼らは、偽りの幻と、むなしい占いと、自分の心の偽りごとを、あなたがたに預言しているのだ。
エレミヤ14:14



講解説教No.11
Ⅱペテロ2章1-3節


 ペテロは、にせ教師たちの目的ややり方を明らかにすることで、兄姉たちが気をつけるように教えます。「異端」は真理である神のことばに代わるものを用います。自分で選んだ教えや間違った説明、わがままな意見を真理であるかのような見せかけを伝えるのです。それを「ひそか」に持ち込みます。「聖書は神のことばではない」とは言わずに、「我々も神のことばと信じている」と肯定し、「羊のなり」(マタイ7:15)をして来ます。彼らがもたらすものは滅びです。それは永遠のさばき(ピリピ3:19)であって、彼ら自身の身とその道連れを引き起こそうとしています。彼らの核心は「主を否定する」ことです。いつから否定するようになったのかと言えば、ずっと継続して否定し続けています。重要なことは、私たちが偽りの異端を見抜くことです。これはイエスが教えておられることでペテロもそれを受けています。「実によって見分ける」のです(マタイ7:16)。実とは生き方です。その人が何を言うかということではなく、どう生きているか、それが見分ける目安です。神の救いを頂いた人は、神のいのちにふさわしく、そのいのちを豊かに生きることが求められています(ヨハネ10:10)。この地上での豊かな生き方とは、キリストに従って宣教することです(マタイ28:19,20)。天の御国に入るのは「神のみこころを行う者(従う者)」です。「主よ。主よ。」と言うだけの人ではありません(マタイ7:21)。主を否定する人たちに従う生き方などないのです。しかし私たちは日々キリストに従います。従いたいと願いながら、罪の弱さで出来ないことも多々あります。しかし救われた人は従いたいと願いが根底にあるのです。表面では従うように見せかけて、本心では自分が何をしたいという欲望を譲ることの出来ない人たちを見分けて、気をつけなければなりません。