2019年1月20日 ペテロの手紙第二 -神の御前に出るとき-

そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。
Ⅰペテロ3:14



講解説教No.21
Ⅱペテロ3章14節

 とりわけ3章は銘記すべきメッセージです。なぜならキリストの再臨は紛れもない事実だからです。聖書は繰り返し再臨のメッセージを伝えています。十二弟子たちにもイエスは何度も教えました。聞いてもすぐに忘れるからです。世の中は再臨の事実とは全く反対の方向に向いています。そんな世の中だけを見ていたら、再臨の事実は薄れるでしょう。だからこそ銘記しておかなければなりません。また再臨の事実は生き方を変えます。この手紙の著者であるペテロは「私は漁に行く」(ヨハネ21:3)と、救われる前の生活に戻りかけたことがありました。しかし復活のイエス(再臨を保証するもの)を確信してから彼の生き方は大きく変わりました。今私たちがしなければならないことは、再臨の事実にふさわしい生き方をすることです。そのためには、主の約束を信じて待ち続けることです。この思いを保つ秘訣は教会の集まりを止めないことです。賜物をもって互いに仕える集まりにとどまっていてこそ可能です。二つ目に、最善を尽くすことです。これには忠実さが求められます。最善を尽くし「しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように」するのです。終末のさばきが迫るほど人々の抱く恐れは大きくなり、自分本位さが露呈します。クリスチャンも「愛は冷たくなる」(マタイ24:12)のです。その時に道徳的にも非難されるところがない者として生きることが求められています。神の御前に立ったなら「隠れおおせるものは何一つ」ありません。その時平安でいられることは幸いです。実際にキリストが来られたときに、自分の生き方に後悔していないことを望みます。失敗した生活が後悔ではありません。主の再臨を期待して待っていなかったことが後悔です。「そういうわけで、愛する人たち。このようなこと(再臨)を待ち望んでいるあなたがたですから…」