3月17日 コリント人への手紙第一 -神の恵み-

私は、キリスト・イエスによってあなたがたに与えられた神の恵みのゆえに、あなたがたのことをいつも神に感謝しています。
Ⅰコリント1:4



講解説教 №2
Ⅰコリント1章4節


 手紙を読み進めていくとわかるのですが、コリント教会のクリスチャンたちは確かな神の救いに与ったにもかかわらず、その祝福を忘れてしまいました。その上で教会生活を進めて行ってしまったのです。ですからパウロはまず救いの祝福を思い起こさせようと努めます。そこでパウロは彼らに与えられた神の恵みのゆえに、彼らのことを感謝していると言いました。この恵みは主の救いのことです。「恵み」は手に入れるものではなく、与えられるものです。罪人に全く値しない神の祝福を受けることです。救いはすべて神がくださったものです。救いのために私たちが努力して得たものは一つもありません。そのことから救われた理由を考えると、第一に、まず神が愛してくださったから救われました(Ⅰヨハネ4:10)。第二に神が私を選んでくださったから救いに与りました。私が神を選ぶことはありません。第三に神が罪の代価を払って救いを用意してくださったから救われました(Ⅰペテロ2:24)。この神の恵みを忘れ、互いに感謝できない現実が、争いごとです(11)。私たちはどうでしょうか?立川教会の兄姉のことを神に感謝できているでしょうか?もし出来ていないとすれば、何が問題でしょうか。相手ですか?それとも神の恵みを忘れた自分自身でしょうか?パウロこそコリントの人たちに叱責や要求が出来ました。しかしまず感謝しました。神の恵みを知っていたからです。すべては神の恵みです。教会は神の恵みによって建てられた神の教会です。その本質を見失って、ただ自分の考えに沿って行うことを神は決して評価されません。まず神の恵みを起こい起こそうではありませんか。次に兄姉のことを感謝できなかったことがあれば悔い改めましょう。神の恵みの事実は絶対に変わりませんから、そこに立てばすべて益となります。