2019年5月12日 コリント人への手紙第一 -神に目を向け、過ちに気づけ-

キリストが分割されたのですか。あなたがたのために十字架につけられたのはパウロでしょうか。あなたがたがバプテスマを受けたのはパウロの名によるのでしょうか。                        
Ⅰコリント1:13


講解説教 №9
Ⅰコリント1章11-17節


 コリント教会の中にある争い(複数のグループ間での争い)の問題を、パウロは具体的に対処していきます。最初の対処は、コリントの兄姉への3つの問いかけです。①「キリストが分割されたのですか」との問いかけに対してNOと答えるでしょう。キリストは一つであるならキリストのからだである教会も当然一つです。そのようにキリストご自身を覚えることで間違いに気づかせています。②「あなたがたのために十字架につけられたのはパウロでしょうか」答えはNOで正解はイエスだと答えたはずです。そのイエスのために生きるのがクリスチャンではないかとチャレンジを与えています。一致するために十字架を語る所にパウロの素晴らしさがあります。単に倫理的一致を目指しているのではありません。一致の原則は救いの事実に基づきます(Ⅱコリント5:15)。自分のために生きるなら教会の一致は不可能です。しかし私たちはキリストのために生きるものとして新しく生まれたのです。だから一致できます。③「あなたがたがバプテスマを受けたのはパウロの名によるのでしょうか」NOです。主の御名によります。それは主への絶対服従という厳密な結びつきを示し、主と一体ということです。パウロの名によるとなれば、パウロと一体という恐ろしい過ちを犯すことになります。それに気づくなら「私はだれだれにつく」という愚かな争いが減るでしょう。パウロは最後の部分で神からの使命について語ります。それはバプテスマを授けさせるためではなく、福音を宣べ伝えさせるために神が遣わしたと。ここでも聖書の原則を伝えることで彼らの過ちに気づかせようとしています。一致解決のために語ったことはキリスト、十字架、主の御名という福音の事実です。これらを思い出すことで神に目が向きます。そうすれば必ず過ちに気づきます。気づくなら直すことが出来ます。