2019年7月14日 コリント人への手紙第一 ー神の知恵ー

私たちの語るのは、隠された奥義としての神の知恵であって、それは、神が、私たちの栄光のために、世界の始まる前から、あらかじめ定められたものです。
1コリント2:7


講解説教 №16
Ⅰコリント2章6-9節


パウロは自分が語った神の知恵と人々の知恵との違いを示します。それはこの世の知恵ではありません。「世」とは「時代」とも訳しますが、神の知恵はどの時代であっても、その時代時代に住む人間の知恵を語ったものではありません。また、この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。どんな強い権力者でも永遠に存在することは出来ず、必ず滅びます。そのような人たちの知恵ではなく、永遠のお方の知恵を語るのです。次に、神の知恵は隠された奥義であると教えます。かつて私たちに隠されていて、決して知ることがなかったことを神は明らかにしてくださいました。隠されていたものは神の救いのご計画です。神の豊かなあわれみにより、イエスキリストと聖書によって明らかにされました。これを啓示と言います。また、神の知恵は神が定めたものだと教えます。私たちに与えられた救いは、私たちが一生懸命努力したから救いを頂いたというものではありません。神の一方的な恵みです。救いが与えられただけではなく、それに基づく豊かな生き方をも与えてくださいました。その豊かさの究極は栄光のイエスキリストと共に永遠を過ごすという、私たちのための栄光です。それを世界の創造の前からご計画されていたのです。最後に、神の知恵は人知をはるかに超えたものであると教えます。神の知恵を誰一人として悟ることは出来ません。なぜイエスが人となられたのか、なぜ何の罪もないのに処刑されたのか、決して分からないのです。旧約時代に神は罪の赦しのために「いけにえ」をささげるように命じました。しかしいくらささげても完全な罪の赦しはありません。それは完全ないけにえとしてのイエスキリストと出会うための神の計画です。赦され難い罪の重さを知り、完全な罪の赦しを与えるイエスキリストを信じるための神の知恵なのです。