2019年9月15日 従い通し、輝き通す信仰~カレブに学ぶ~

私は私の神、主に従い通しました。
  ヨシュア14:8



ヨシュア記14章6-14節


9/11祈り会説教 「エステル記1章 ~王妃の交代に始まる神の働き~」

エステル記には神名がいっさい出て来ません(1~10章)。この時代、民がことのほか不信仰で、神が怒って出て来ないわけではありません。むしろ、ペルシャの支配下の日常の中で、神が摂理的に働かれていることを、より明確に示そうとした意図的な書き方です。1章にエステルは登場しません。主が彼女を用いるためのプロローグが記されています。ペルシャのアハシュエロス王の権威と力を示すために国家規模のパーティーが開かれました(3)。身分の高い人たちを招待して富と栄誉を示すために180日間も続けました。それでは足らず、身分の低い人たち、つまりだれでも庭に招待して7日間酒を振る舞いました。酒で心が陽気になった王は、最後に自分の王妃を自慢しようとしました。ところが王妃がこれを拒否。怒り心頭の王は、王妃の処分の仕方を検討させ、最終的には法令を変更させてまでして、王妃を交代させることにしたのです。この出来事があったのでエステルが王妃として選ばれるのです。聖書は王妃が王の命令を拒否した理由に触れていません。日頃から強情さがあったのでしょう。王にしても、法律を変える大事になりましたが、もとはと言えば、王の自分勝手さという日常がそこにあるのです。神の名はそこに出て来ませんが、その日常的な営みの中に、神が確かに介入していることを見るのです。私たちの日常にも、神の働きが目に見えなくても、一つ一つの出来事の背後に、神の配列が隠されているのです。あなたの学校生活に神は入って来られない、と思っていませんか?あなたの職場になかなか神は働いてくださらない、と思っていませんか?目に見えなくても、神の間違いのないご計画を信じ、神が働いてくださることを信じて祈りましょう。