2019年11月17日 コリント人への手紙第一 -神に喜ばれる生活-

あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。
Ⅰコリント6:20
 

講解説教№30
Ⅰコリント6章1-7節

 7章では、コリント教会の兄姉たちからの質問に答えます。「男が女に触れないのは良いこと」というのは兄姉たちの認識で、夫婦に与えられた性的関係についてのことです。不品行の罪を犯す者がいて、それを黙認する教会の存在は、クリスチャンたちに悪影響を与えました。彼らは「性関係そのものが汚れであり、結婚することも罪である」と考え、それに対してどう思うかパウロに訪ねたのです。パウロの答えは「不品行を避けるために…(結婚しなさい)」(2)です。これは既に不品行の罪を犯し、それを良しとする偽りの教理の影響を受けているコリント教会への容認です。間違った禁欲生活はサタンの誘惑に自ら陥るものです。そうであるなら、不品行を避けるために結婚するほうが主に喜ばれるのです。自分のからだをもって神の栄光を現すことがどういうことなのか、今の信仰の状態から考えるべきです。次にパウロは、自分の権利よりも相手に対する義務を果たすことを容認として命じています(3,4)。この義務と権利も、夫婦の性的関係のことを指しています。夫婦の性生活において、自分の権利よりも相手に対する義務すなわち思いやりを優先するということです。「何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい」(マタイ7:12)すなわち、愛しなさいというイエスの教えを、夫婦関係においても実践しているのです。私たちのからだはキリストの尊いいのちをもって買い取られました。だから、私たちは自分のからだをもって神の栄光を現していくのです。これを問題の山積しているコリント教会に求めていくこと自体驚きです。愚かで、神の御前にふさわしくない私たちをどうして神は用いようとされるのでしょう。それは、神が私たちをただ愛しておられから、あわれんで用いてくださるのです。この愛に応えていきましょう。