2020年2月16日 コリント人への手紙第一 -その兄弟のためにも-

その弱い人は、あなたの知識によって、滅びることになるのです。キリストはその兄弟のためにも死んでくださったのです。 
Ⅰコリント8:11


講解説教№37
Ⅰコリント8章7-20


「あなたがたのこの権利が…」は「権威」とも訳すことが出来ます。聖書の正しい知識によって、自由に振るまうことができるというのは、それだけの権威をもって、力強く生きることができるということです。異教習慣の縛り、社会的な縛りから解放されるのは、それだけの力を自分の内に持つからです。これは持つべき必要な力です。しかし、そこには「高ぶらせる」という問題が起こります。そしてその力による自由な態度が、弱いクリスチャンを「食べても大丈夫。信仰があればできるはずだ」と罪に誘うのです。判断のつかないまま事を行ってしまうのは罪です(ローマ14:23)。ですからパウロは「この権利が、弱い人たちのつまずき(罪に誘うこと)とならないように」と言っているのです(9)。高ぶりに対する解決策は愛です。その権利(権威)、自由な態度が弱い人たちを罪に誘うことがないように気をつけることです。パウロの場合は、「兄弟をつまずかせるなら、私は今後いっさい肉を食べない」と決心すること、それが愛です。相手を思いやり、つまずきを防ぐために、自分の得ている自由を行使しないことです。自分の力(権威)を発揮しないこととも言えるでしょう。そのように互いに愛し合い、キリストのからだである教会を建て上げて行くのです。この愛の実践は、私の愛ではなく、キリストの愛です。「キリストはその兄弟のためにも死んでくださった」その愛です。かつての習慣にとらわれ、束縛されているその兄弟のためにもキリストは十字架にかかって死なれました。この事実を本当に知るならば、高ぶりの罪から守られます。また、その兄弟に罪を犯させるとは、その兄弟のために十字架にかかって死なれたキリストご自身に対して罪を犯すことにもなります。この事実を本当に知るならば、「愛は人の徳を建てる」ことを実践するクリスチャンへと変えられます。