2020年7月5日 コリント人への手紙第一 -御霊の賜物について(6)~愛は決して絶えることがない~-

愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。
Ⅰコリント13:8


講解説教№54
Ⅰコリント13章8-13節

 愛は決して絶えることがない永続的なものです。それに対して他の賜物は「すたれる」し「やみます」みことばを解き明かす説教の賜物としての「預言」や、コリントで問題となっている「異言」もすたれる理由は、「一部分だからです」(9)「不完全」(10)とも言っています。賜物の必要性がなくなるということです。子どもが大人になったときには、子どもとしての言動が必要なくなるのと同じように、説教の賜物も完全なものが現れたときには不要となるのです。もう一つの例として、鏡に映るぼんやりとした顔と実物の顔とを比較しています。優れた賜物であったとしても、それは鏡に映したもの。実物を見るのとでは大きな違いがあるのです。このように愛は決して絶えず、他の賜物はすたれるのです。完全なものとしての愛が現れる時、「顔と顔とを合わせて見る」その時とは、キリストがおいでになる再臨の時です。この世界の一切がさばかれ、キリストにある新しい世界が到来します。今の世界に属するもの、その時代に与えられたものは必要なくなります。教会も例外ではなく、建て上げるための様々な賜物は不要となるのです。実物であられるキリストが来られるからです。そのキリストのからだを建たせるために、諸々の賜物が与えられていたのです。しかしキリストご自身が来られるのですから、キリストのからだとしての教会の必要性はそこまでです。教会の目的、ゴール、役割を聖書に基づいて知るなら、賜物を誇っていることが恥ずかしくなるでしょう。様々な賜物も、主がおいでくださるときの完全さを目指して、神のくださる愛と救いに対して奉仕すべきです。それを抜きにした賜物だけが一人歩きしていないかどうかをしっかり見極めましょう。既に判断基準が与えられたのですから。このような教会における本質を見失わない限り、コロナで阻まれている様々なことが教会に起こったとしても大丈夫です。むしろ本質を見据えた新しい教会づくりに励んで行きたいものです。