2021年5月16日  説教テーマ キリストの恵みへの感謝

あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。           Ⅱコリント8:9 コリント人への手紙第二講解説教№22 Ⅱコリント8章6-15節 受けてあふれるのではなく、分け与えてあふれるスペシャルな喜びを抱くために、パウロはコリントの兄姉に中断したエルサレム教会支援を完了させるように勧めます。信仰や、みことばの知識など、すべてのことに富んでいる彼らに、献金の奉仕においても富むように願っています。パウロは献金を、愛を表す機会として勧めています。だれかに言われて行うものではなく、自分で進んで心からささげるものが献金であると聖書は教えます。そこで重要なこととして、キリストの模範を示します。信仰者はキリストのみわざと犠牲によって富む者となりました。「神はキリストにあって、天にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました」(エペソ1:3)とあるとおり、富を施したキリストがおられるから、私たちは富むことが出来たのです。富を施された分、キリストは貧しくなられたのです。イエスは富んでおられたのですが、それはナザレにいたときでも、弟子たちと共に過ごした公生涯におけるガリラヤやエルサレムにいたときでもありません。「世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光」(ヨハネ17:5)とご自身が言われたときです。万物はこの方のもの、支配も権威も力も誉れも。だれよりも富んでおられた方です。その方がどのように貧しくなられたのかというと、実生活においても貧しくあられました。イエスの家庭は、貧しい人たち用のいけにえ(礼拝のささげもの)である鳥をささげていました(ルカ2:22-24)。それは真の貧しさの象徴とも言えますが、栄光の王座、神のあり方を捨てられた究極の貧しさとして、十字架の死を受けられたのです。実に私たちが富むために貧しくなられたのです。この事実を受け入れる者、すなわちキリストを信じる者は富む者となるのです。クリスチャンとされた今、何ゆえに富む者とされたのかと言えば、イエスと同じように分け与えるためほかなりません。「今、それをし遂げなさい」(11)と勧めます。近い将来、蓄えられたらではなく、今自分が持ち得るお金ですべきなのは、どれだけの金額をささげるかと言うことが問題なのではなく、分け与えて交わりたい!という神への信仰が問題なのです。