2021年10月10日 説教テーマ「主イエス・キリスト (2)」

御子に関することです。御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、 ローマ1:3 ローマ人への手紙 講解説教 №3 ローマ1章4節  福音とは良い知らせのことです。ノーベル物理学賞を日本人が受賞したことは、ある意味良い知らせです。しかもその内容が人類全体の問題である気候変動に関する基礎となるものと言われていますから、なおさらのことです。私たちが知ろうとしている福音は、聖書に記されている御子に関することです。御子、つまり神は、「肉によればダビデの子孫として生まれ」た方であり、すなわち神が人になられたという、人間が決して理解することのできない奇蹟としての福音を知ろうとしています。神であられるお方は、特定の民族、特定の時代、つまり完全な人間としてお生まれになられました。同時に、「聖い御霊によれば、死者の中からの復活により」力ある神の子と定められました。復活したことによって初めて神の子となったのではありません。そもそも神であられる方が人となってこの世界に来てくださったのです。正しい福音理解で大事なことは「大能」つまり力です。死者の中から復活、死に勝利した力です。人間にとって、それが良い知らせであるというのは、聖書の福音を信じる者に、イエスと同じ復活のいのちを私たち人間にも与えてくださるからです。世の中にも、これこそ良い知らせ、というものがあるでしょう。しかし、それらすべては、死の支配の下にあるものです。人は常に死の力に脅かされています。その死が恐ろしい力であるのは、人間に罪があるからです。その罪は法的罪でも、失敗や過失でもありません。自分のうちから神の存在を排斥した罪です。人の命の営みは「生きよ」と神が始めさせてくださったことによります。ただ生きるのではなく、神と豊かに交わるところの生です。それが、信じること(信頼すること)、愛することという他の生き物にはない尊い生き方です。人が神のかたちに似せて造られた(創世記1:26,27)とはそのことです。ですから、このお方を知らない、或いは知ろうとしないこと以上の大罪はないのです。キリストが死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのは、私たちを死の恐怖から解放して、新しく生きる者としてくださる力ある救い主になられたということです。神が人間になられたのは、罪からの救いのための、血の犠牲をご自身負われるためです(へブル9:22)。その死に勝たれたので、私たちの罪が完全に赦され、永遠の救いを提供できるのです。これが御子に関する福音です。このことを信じますか?信じるなら救われます。