2022年7月17日 説教テーマ 「律法からの解放」

私の兄弟たちよ。それと同じように、あなたがたも、キリストのからだによって、律法に対しては死んでいるのです。それは、あなたがたが他の人、すなわち死者の中からよみがえった方と結ばれて、神のために実を結ぶようになるためです。 ローマ7:4 講解説教 ローマ人への手紙7章1-6節 №37 6章で「聖潔に進む」ことを命じたパウロが、7章では善行を願いつつ罪を犯してしまう自分を嘆き、葛藤しています。これは矛盾しているのではなく、聖潔に進むための大事なことを教えているのです。その鍵は「律法」です。神の民として歩むための教えとして、神がイスラエルの民にお与えになったのが律法です。彼らは神に認められるために律法を守り、パウロ自身も人一倍熱心に律法を守りました。そのパウロが律法を知る者の常識として、結婚関係を例に、律法からの解放は律法に対して死ぬことにより実現することを教えました。このことは6章でキリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたことにより既に起こっています。キリストとともに死んだので、私たちは律法に対して死んだ者となりました。それにより律法から解放されたのです。6章でパウロは「罪から解放」と言い、7章では「律法から解放」と言っています。これは罪と律法が同列なのではなく、罪と律法が結びついたことを教えています。5節に注目してください。救われる前の古い自分である「肉にあったとき」には、罪が誘う欲情が、律法によってからだの中に働いて死のための実を結んでいました。「欲情」の元の意味は「情熱」とも「愛」とも訳すことのできる言葉です。そこに罪が結びつきました。罪の欲情が律法によって働きました。律法は罪に力を与えてしまい、エネルギッシュに働くのです。パウロの嘆きと葛藤は、この律法理解から来ています。主の教えに従うことが良いとわかり、それを願うも、死のための実を結んでしまうのです。しかし、今はイエスにより律法から解放された、素晴らしい立場にいます。それは新しい御霊によって仕える生き方、神のために実を結ぶ生き方を約束しています。その結果、人間の思いによって律法を解釈、判断するような「古い文字」の生き方ではなく、また、自分が何者で、自分に何ができるかという自己中心的な生き方でもない、主の教えに従う、神のための実を結ぶ生き方をするのです。