2022年7月31日 説教テーマ「キリストの無限の愛を追い求めよう」広瀬憲夫宣教師

愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。 Ⅰコリント14:1 Ⅰコリント 14章1節 祈り会メッセージ 詩篇115篇 テーマ「栄光在主」より 「私たちにではなく、主よ、私たちにではなく、あなたの恵みとまことのために、栄光 を、ただあなたの御名にのみ帰してください。」(115:1) 「栄光在主」は慣用句的な言葉として手紙などに使います。そのルーツが上記のことばからと言う人もいます。共同訳は「あなたの御名こそ、栄え輝きますように」と。作者は、主の御名にのみ!と限定的に栄光の帰すところを願っているだけではなく、「私たちにではなく」と繰り返し強く否定しています。この詩篇はハレル詩篇と呼ばれ、過越しの祭りの食事のあとに歌われたものと言われています。2節から8節にかけて、神の全能さと偶像の無能さが対比されて語られています。かつて民は出エジプトの偉大な神を讃えていたにもかかわらず、モーセがシナイ山頂で神と会見している間に、先立つリーダーが不在だから「先立って行く神を造ってください」(出エジプト 32:1)と、偶像に頼ったことがありました。それはリーダーがいなくて不安だから陥ったのではなく、むさぼりの罪がそうさせたのです。エジプトから救い出されて、荒野の生活に入った途端、彼らは食べ物がない、水がない(出エジプト 16,17 章)と騒ぎ立てました。駄々をこねたのでしたらまだ良いのですが、これらもむさぼる心から出ているものです。むさぼりは欲しがる思いにとどまらず、神に従う生き方を良しとしない心です。彼らのこの痛い経験から、詩篇における「栄光在主」を歌わせているのです。イエスの主の祈りを思い出してください。「御名があがめられますように。御国が来ますように。みこころが…行われますように」(マタイ 6:9,10)まさに栄光在主です。自己本位な心からは出てこない祈りです。聖霊の働きによってはじめて可能となる祈りなのです。主の祈りは「私 たちの日ごとの糧をきょうもお与えください」と後半に続きます。主の御名が輝くことが、神の子どもたちに輝きをもたらせます。ですから、栄光、御名にのみ!と心から祈りたいのです。ただの慣用句としてのことばではなくです。