2023年7月30日 説教テーマ「上に立つ権威に従うべきです」

人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられているからです。 ローマ13:16 ローマ人への手紙13章1―7節 「上に立つ権威」とは、国家権力のことです。ここではローマ国家になります。パウロが国家の権威を認めているからこその勧めなのですが、信仰において上に立つ権威とどのように向き合うかということは重要な問題です。イエスの時代にはローマ国家の支配を認めない「熱心党」という団体がありました。暴動を起こしたこともありました。宗教改革後には国と結びついている教会の在り方を批判するグループもありました。ただ、イエスキリストはそういった生き方を一切なさいませんでした。むしろイエスは「カエサル(ローマ皇帝)のものはカエサルに…返しなさい」(ルカ20:25)と、国の権威に従うように教えています。パウロもそれに倣っています。上に立つ権威は神による権威であり、存在している権威はすべて神によって立てられているから、その権威に従うのです。「今のロシアもそうなのか?」という疑問は出るでしょう。しかし当時のローマ国家も、クリスチャンへの迫害を劇化していったネロ皇帝です。この世のいかなる権威であっても、それらは神の支配と権威の下にあります。地上の諸々の権威を立てるのも倒すのも神なのです。4節では「神のしもべ」と表現し、国家権力が「無意味に剣を帯びていない」つまり、秩序をもって悪を罰する権威として語られています。その背後に私たちの思いを越えた仕方で神の働きがあるのです。 ヨハネ福音書19章8-12節のイエスの発言は注目に値します。ここでイエスはローマ帝国のピラト総督の下で裁判を受けています。ピラトは「釈放する権威があり、十字架につける権威もある」とイエスに告げています。しかし、それに対してイエスは「上から与えられていなければ、あなたにはわたしに対して何の権威もありません。」と突き返したのです。ピラトが十字架という判決を下すとしても、神によって立てられた権威者が、神の支配のもとで行われたというのがイエスの理解です。イエスが十字架につけられた時の神の支配と、ローマ諸教会に手紙が送られた時の神の支配とは同じものです。その神によって世界の諸々のところに上に立つ権威が立てられていることを認めなければなりません。そして、その先に神の救いが実現と完成があることを見つめなければならないのです。今の苦しみと必ず起こるであろう迫害の先に与えられる神の恵みの支配をしっかり見るように、この手紙は言い聞かせています。まだ見えていない先を見据えることで今の現実を冷静に受け止めることが出来ます。冷静であれば、確実に与えられるまだ見ぬ将来に備えることができます。