2023年7月9日 説教テーマ「共に生きる」

聖徒たちの必要をともに満たし、努めて人をもてなしなさい。 ローマ12:13 ローマ人への手紙12章13―14節 偽りのない愛に生きる具体的なことの一つに、「聖徒たちの必要をともに満たし、努めて人をもねな」すことが挙げられています。何が偽りのない愛であるかと言いますと、余裕のある聖徒が貧しい聖徒を助けることではありません。必要(貧しさ)を「ともに満た」すことです。新共同訳は「貧しさを自分のものとして彼らを助け」となっています。困っている兄姉を助けるのですが、ここで語られていることは、助けるというニュアンスよりも、分ち合うこと、交わりを持つことのほうが強いです。要するに、貧しさ(必要)を分かち合うということです。キリストを信じ、この世と区別された聖徒たち皆で、ともに必要を分かち合うことが、偽りのない愛に生きることです。互いの貧しさや欠けを分ち合うのですから、互いの貧しさも欠けも必要なのです。出来ない自分を悲観する必要はありません。偽りのない愛に生きるもう一つのことは、「努めて(旅)人をもてなす」ことです。当時の旅はいのちの危険を伴うものでした。良きサマリア人のたとえでは、エルサレムからエリコへの20-30キロの旅ですが、強盗に襲われたとあります(ルカ10:30)。パウロ自身、伝道旅行において、難船、川の難、盗賊の難、荒野での難、海上の難など、旅での危険を挙げています(Ⅱコリント11:25、26)。そのように旅人というのはそれだけで苦しみの中にある人だったのです。ですから、旅人をもてなすというのは、宿を提供し、傷や痛みを癒し、体力を回復し、旅を続けることができるようにすることは、その人のいのちにかかわる援助だったのです。今は「万物の終わりにおけるもてなし」と言うことが出来るでしょう(Ⅰペテロ4:7,9)。差し迫った世の終りにおける危険がそこにあります。新型コロナウイルスによって教会は、人とかかわることが許されない長い期間を強いられました。それに伴い社会全体も不安定になり、物価上昇は生活のゆとりを奪いつつあります。そういう中にクリスチャンも立っています。もてなしを必要とする人たちが増えるでしょう。特に、神のことばにふさわしくない説教が増えて来る恐れがあります(Ⅰペテロ4:7,11,17)。そういう教会にいる聖徒たちは路頭に迷い出てしまいます。そういう人たちを、みことばによってもてなすことは、偽りのない愛に生きることになります。