2023年10月8日 説教テーマ「信仰の成熟」

私の兄弟たちよ。あなたがた自身、善意にあふれ、あらゆる知識に満たされ、互いに訓戒し合うことができると、この私も確信しています。 ローマ15:14 ローマ人への手紙15章14-16節 「ぜひ福音を伝えたいのです」(1:15)と、パウロはこの手紙につづった内容を見返して、改めた自分自身の感想は「所々かなり大胆に書きました」です(口頭記述です。16:22)気持ちが高ぶったわけではありません。福音はそもそも大胆なのです。福音は容赦なく罪を示し(6:23)、福音は罪の赦しと解放を教え(8:1,2)、福音は罪の赦しを越えたからだの贖いを与え(8:23)、福音は死を滅ぼします(8:37-39)。まだ一度も会ったことのないローマの教会の兄姉たちに福音の大胆さを教えました。パウロの大胆さは、彼らの信仰が成熟することを確信しているところにも表れています。第一に、彼らが善意にあふれることができると信じています。これは互いに意見が違っても聞くことができ、そこに対話が成立します。「善意のつもり」は優しさを欠いた押しつけとなり、互いに聞く耳を持ちません。第二に、彼らがあらゆる知識に満たされることを信じています。これはキリストの福音に関する知識です。キリストのご生涯、十字架の死と復活、そしてキリストのもとに召し集めてくださった教会において、この救いが今の私たちに及んでいるという神の救いの事実を知る知識に満たされるのです。この知識がないと、信仰は勝手な思い込みとなり、人間の常識を一歩も出ないものになってしまいます。第三に、彼らは互いに訓戒し合うことができるようになると信じています。訓戒の前提は、1そこに問題が存在していること、➁言葉を用いて訓戒すること、3その人の生活が変えられることを目的することです。訓戒し合うことは、善意にあふれ、福音の知識に満たされた人に可能です。このような立派な信仰者にはなれないと思ってしまいます。しかし訓戒し合うことができる人というのは、指摘された問題を素直に聞くことが出来る人であり、悔い改めることが深まる人のことを言うのです。そのような成熟を私たちも目指したいものです。ローマの兄姉たちに対して、このような信仰の成熟を確信できる根拠は、パウロの祭司としての務めから来るものです。祭司は、神と人との間に立って、神にささげものをささげ、神の恵みと罪の赦しを願う者です。イエスこそ神と人とを執り成す偉大な大祭司です。イエスを通してでなければ父なる神のもとには行けないのですから(ヨハネ14:6)。パウロはこのイエスに仕える祭司です。彼がささげるささげものは異邦人です。彼らが汚れていたらささげものにならないので、整えます。それが異邦人に与えられる救いのことです。その救いは、自分を神にささげることでは実現しません。ささげる自分自身がイエスのものになるから救いが実現するのです。ローマのクリスチャンたちがイエスのものであることが、彼らの信仰が成熟する根拠です。私たちもイエスのものです。そうであれば、信仰は成熟します。