2023年12月17日 説教テーマ「恵みとあわれみ」

しかし、私は主を仰ぎ見、私の救いの神を待ち望む。私の神は私の言うことを聞いてくださる。 ミカ7:7 ミカ書6章、7章 「主の言われることを聞け」と、神の法廷のイメージでミカは語っています。さばく神が民に訴状を突き付け、証言台には山々や丘と言った被造物である自然がいます。民の行ったことを人の目には隠すことが出来ても、被造物には隠すことが出来ないということです。ここで神は民との関係をはっきりさせようとしているのです(6:1,2)。神はご自分に非がない証拠を挙げられます。エジプトからの救い、呪いを祝福に変えたこと、ヨルダン川をせき止めて民を通したこと...非どころか、民に良いことしかしていません(6:3-5)。その神に民は不服を申し立てます。「神は私たちにどれだけの犠牲を要求されるのであろうか。最良のものをささげいるのに」(6:6,7)そんな民に対して神は核心を突かれます。「何が良いことなのか、あなたに何を求めておられるのか...公正を行い、誠実を愛し、へりくだって、あなたの神とともに歩むこと」(6:8)。神の基準に従い、力のない人たちを公平に扱うところの「公正」も、神の愛に基づいて人とかかわる「誠実」も、彼らは無視し続けまた。公正と誠実はへりくだって神とともに歩むことで可能となります。ミカ自身もこのことを悔い改めて、「しかし、私は主を仰ぎ見、私の救いの神を待ち望む」ことを告白しました(7:7) 主を待ち望むことができるなら、へりくだることができます。へりくだることができるなら、神の求める公正と誠実に生きることができます。サタン(敵)はクリスチャンが罪を犯すことを喜びます(7:8)。しかし、へりくだることができるならサタンは逃げていきます(ヤコブ 4:6,7)。首都陥落の危機が迫る中、ミカは「あなたの民を牧してください」と祈ります(7:14)。神はその祈りに、出エジプトの再現をするとお応えになります(7:15)。それは世の終りに民を約束の地に集めることです。ミカは民の咎を除く神、背きの罪を見過ごされる神がほかにあるでしょうか。いや、いない!」と驚いています(7:18)。そこで彼は祈ります。「...すべての罪を海の深みに投げ込んでください」(7:19)海の深みは二度と目に触れず、思い出せない所です。神は私たちの罪を決して思い出しません。なぜなら、キリストが私たちの罪を担われたからです。ミカが預言する恵みとあわれみはキリストで実現します。旧新両約で神を知り、判断するのです。