2023年12月3日 説教テーマ「さばき後の平和と回復」

その終わりの日、主の家の山は、山々のかしらとして堅く立ち、もろもろの丘よりも高くそびえ立つ。そこへもろもろの民が流れて来る。 ミカ4:1 ミカ書3章、4章 3章にはイスラエルの指導的立場の人たちへの厳しいさばきが、4章には回復(救い)が語られています。彼らは、貧しい民に対して搾取を行い、損か得かで民に語ることばを変え、賄賂で預言を語る有様です。周辺国の脅威が迫る中、イスラエルとしても生き残らなければならない危機感があります。そこで神に聞くか、自分の欲を優先させるか、選択が迫られます。神は彼らの叫びに答えず、預言者にもかかわらず幻(みことば)が与えないという恐ろしいさばきが下されました。彼らの罪ゆえに「エルサレムは瓦礫の山となり…」と預言され、後に神はそれを果たされます。平和と回復の預言として「その終わりの日」と語られました(4:1)。それはキリストが語られた御国の福音と言われるものです。イエスの再臨によってもたらされる神の約束の実現のことを指します。その時「主の家の山」すなわちエルサレムを中心とした王国が築き上げられます。そこにもろもろの民(世界中の人々)がイエスを礼拝しに集まってきます。そこでイエスは「ご自分の道を私たちに教えてくださる」(4:2)のですが、それはこの聖書の教えではなさそうです。なぜなら、イエスが王国を確立された時点で、聖書で約束された事柄が全て実現しているからです。どんな教えをしてくださるのか楽しみです。またイエスはそこで「多くの民族の間をさばく」とあります(4:3)。そのとき私たちは携挙されたあとですから、罪のない朽ちないからだの状態です。しかしさばかれる人は、罪があるからさばかれるのです。主の王国では両者が混在していることになります。今の地上はどんなに平和を願っても争いが増える一方です。しかし主の王国はイエスがさばくので争いがありません。それが3節のことばです。これは国連の壁に刻まれていることばです。彼らがイエスの王国を前提にした平和をうたっていれば良いのですが、文脈を無視していたら残念です。その点は私たちも気をつけなければいけません。