2023年12月31日 説教テーマ「闇と光~光の子どもとして~」

あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもなのです。私たちは夜の者、闇の者ではありません。 Ⅰテサロニケ5:5 テサロニケ人への手紙第一5章1~5節  私たちが心得るべき主の日とは、「終わりの日」「滅び」とも言います。大患難のことです。その日、まず背教が起こり、キリストによく似た反キリストと呼ばれる人が起こされます。これまでキリストに反抗し続けて来たユダヤ人たちが信じてしまうほど、魅力のあるのが偽物の特徴です。彼らは偽物と契約を結び、裏切られ、礼拝を強要されます。背けば生きて行くことが難しくなるほど追い込まれます。その日は盗人が夜やって来るように来ます。終わりの日など来るはずもないと思っている人たちには、突如訪れた出来事としか受け取れないのです。聖書の警告は聞くべきです。この日が私たちを襲うことはないと聖書は述べています(5:4)。暗闇の中にいないからです。すなわち、大患難に突入する前に、教会(私たち)はキリストのもとに携挙されるからです。この終末の教えと違う理解を持つ教会もあります。地上再臨の直前に空中携挙されるという理解です。そうなると、その教会は大患難に突入することになります。贖われている教会は神の怒りを受ける必要がないはずなのですが。終わりが近づくということは、サタン自身も終わりが近づいているということです。ですから人々を神とその真理から引き離すことに必死です。とりわけ、終末の教えを混乱させることに努めている事でしょう。「大患難を経験しないのだから、その教えをあまり考えなくても良いのでは?」と考えたら、それはサタンの誘惑に陥っていると言って良いでしょう。終わりの日の教えを含めて聖書全体を知ることが重要です。偏ることなく聖書全体、つまり神のご計画全体を知ることで健全な信仰を保つことができます。互いに励まし合うことができるのも、全体を知っていることで可能となるのです(5:11)。さて、聖書は終末の教えにおいて、信仰者のことを「光の子ども」と呼んでいます(5節)。この光は、神が天地創造をされたときに、最初に造られた「光」のことです(太陽の光は4日目に創造)。その光という原語は、①「神、初め」、②「考え、思考」、③釘をかたどった文字が合わさったことばで出来ています。その意味するところは、初めに神がご自身の思い、考えに釘を 打ち込んだ、つまり、決して動くことのない神の永遠のご計画をあらわすものです。その神のご計画を悟り、伝える使命に与る者が光の子どもです。来年に向けて、動かぬ神のご計画を益々悟り、伝える者となりましょう。