2024年1月14日 説教テーマ 「イエス・キリストの福音」

神の子、イエス・キリストの福音のはじめ。 マルコ1:1 福音書はイエスキリストの誕生と生涯を記録したもので、「福音」とは「良い知らせ」という意味です。マルコはイエスキリストそのものが良い知らせであると、まず伝えています。しかも「神の子」を付けています。福音書のクライマックスの場面で、マルコはローマの百人隊長のことを取り上げています。イエスを処刑する現場の責任者で、まさにイエスが息を引き取られる瞬間に正面に立っていた人です。その時彼が発したことばが「この方は本当に神の子であった」(15:39)でした。無惨にも死んでいく姿を見てなぜ神の子と確信したのでしょう?私たちもこの書簡から、マルコの確信した事柄を確認していきたいのです。マルコは信仰熱心な母を持ち、彼の家が教会でもありました(使徒12:12)。マルコは親の信仰を継承した二世ということになります。後の初代教会の代表的な人物となるバルナバをいとこに持ちます(コロサイ4:10)。彼はバルナバ、サウロが展開していく伝道旅行に同行していきます(使徒12:25)。ところがある時、そこから離脱してしまいます(使徒13:13)。後にパウロから非難され、伝道旅行の同行を拒否されました(使徒15:38)。離脱の理由は書かれていませんが、考えられることは信仰の依存かと思われます。「ただし、本当にあなたがたがキリストについて聞き、キリストにあって教えられているとすれば…」(エペソ4:21)とパウロがエペソの兄姉たちに釘を刺した一言がマルコにも適用されるかもしれません。このようなマルコが聖書の一書簡を担当した著者なのです。彼がバルナバ或いはパウロと多くの時間を共にしたことは「使徒の働き」からわかりました。しかし、彼の最新の情報としては、バルナバともパウロとも共にしていないのです。最終的にマルコがともにいた相手はペテロです(Ⅰペテロ5:13)。なぜペテロといるのかということよりも、ペテロといることで福音書を書くことに導かれているということが分かることのほうが重要です。マルコはイエスと一度もお会いしたことがありません。パウロは復活のイエスと会いました。ペテロは復活のイエスと会っただけではなく、寝食を共にした間柄です。マルコはそのペテロと働きを共にしたのです。ペテロの視点から書かれたのがこの福音書です。彼はペテロを通してイエスに対する信仰の確信を得ました。その彼の福音書から私たちも確かな信仰を育もうとしています。