2024年1月21日 説教テーマ「主の道を備え生きよ」

 バプテスマのヨハネのもとに大勢のイスラエルの人たちが集まったのは、旧約聖書の預言に理由があります。すべての預言者が「主の日」を預言していました。イスラエルに対するさばきの日のことです。イスラエルがバビロンによって滅ぼされるという既に起こった預言と、この後起こる終末としての預言と二重になっています。マラキという預言者を最後に数百年の時が経過しました。暗黒とも言われるその間、生ける神のことばを預かった預言者たちのことばを一度も聞くことが出来ませんでした。ところがヨハネが現れて、さばきの日を語っているのを見聞きして、イスラエルの人たちはいよいよ神のさばきが来ると恐れずにはいられませんでした。このようにヨハネの存在が重要なことがわかります。 そのヨハネは主の道を備える役割であることを自覚し、人々にイエスと自分を比較し、イエスがいかに優れた方であるかを伝えるのです。ヨハネよりも力のある方とは権威としての力で、「来られる」ということば詩篇118:26の言い回しを反映し、救い主メシアに対する称号としてのことばとなっています。またヨハネは履き物のひもを解く資格もないと。履き物を脱がせることは奴隷の仕事です。その資格がないとは、イエスとヨハネを比較するなら、奴隷としての価値さえないと告白しているのです。ヨハネは罪の赦しに導く悔い改めのバプテスマですが、イエスは聖霊が与えられるバプテスマです。それは罪の赦されるだけではなく、神の子どもとして新しく生まれる特権に与ります。ヨハネはすべての預言者の中で最も偉大です。それでもイエスとは比べものにならないのです。私たちはマルコの福音書から、イエスキリストを知ろうとしています。ヨハネよりも偉大なこの方は単に宗教の創始者なのか?歴史を超越した神なのか?読者である私たちが、どう汲み取るのでしょうか。マルコは「神の子、イエスキリスト」と伝えています。