2024年2月25日 説教テーマ 神の国とは

「時が満ち、神の国が近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」 マルコ1:15 「神の国」は「天の御国」「天国」とも訳すことのできることばですが、もっとふさわしい訳は「神の王国」です。 イエスは宣教を開始して、神の王国の到来を宣言していますが、「ヨハネが捕らえられた後」という書き方は、『イエスも後に捕らえられる』ということを意識させるためです。神の王国は既に到来しました。「時が満ち」とはそういうことです。着目すべきは、イエスが宣言した王国とユダヤ人たちの待ち望む王国との違いです。ダニエル書2:44,45にその答えがあります。金、銀、青銅、鉄というそれぞれの国が興るのですが、鉄の国の時代に神の王国が起こされるという預言的な内容です。王国は「一つの石」と表現されています。すなわちメシアです。 メシアとその王国が他のすべての国を打ち砕くのです。ダニエル書を良く知っていたユダヤ人たちは武力をもって強国を打ち砕いてくださると、メシアに対して切望していました。力の王国、それがユダヤ人たちの持つイメージです。しかし、ダニエル書を良く見ると、「…その角(鉄の国)は聖徒たちに戦いを挑み、彼らに勝った」(ダニエル7:21)、「…油注がれた者は断たれ」(ダニエル9:26)とあります。メシアもその王国も到来するのですが、むしろ負けると聖書は言っています。イエスが架けられた十字架は、まさにローマに挑戦して敗れた者に与えられる屈辱的な処刑方だったのです。しもべイエスをこの福音書で伝えているマルコ は「しもべとしての王」を強調しています。敗北の王が必要なのは、罪と死に捕えられた人間をどうしても救うためです。メシアがすべてを打ち砕くことが語られていることは事実ですが、メシアが一度負けた上での実現です。この敗北があることによってはじめて罪と死を完全に敗北させることができるのです。私たちは人間の王権支配の下にあってはなりません。そこは、自らが絶望と決めたら絶望です。神の支配が宣言されても、それが何の役に立つのかと、イエスを信じていながら、おのれの王権で楯突くのです。ですから、イエスは本気で福音を信じることを求めます。罪から離れる一新と転換を神にしていただくために、神の支配に戻らなければなりません。