2024年3月17日 説教テーマ「権威ある新しい教え」

人々はみな驚いて、互いに論じ合った。「これは何だ。権威ある新しい教えだ。この方が汚れた霊にお命じになると、彼らは従うのだ。」 マルコ1:27 マルコの福音書1章20-27節 №6  「他を支配し従わせる力」が権威です。この世界には様々な権威があり、その権威の下にもいれば、いない場合もあります。イエスの権威は、すべてを手中に握るものとしての権威であり、神から全権をゆだねられた神の権威です。人々がイエスの教えを聞いたときに、これまで当然のように認めていた律法学者の権威とは明らかに違うことを、驚きをもって認めました。会堂には汚れた霊につかれた人がいました。この存在は神の王権支配に対抗する悪の支配の現れです。最初の人が堕落したときに、神は「彼(キリスト)はおまえ(サタン)の頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ」と救いのご計画の予告をされました。頭を打つと、キリストはサタンに致命傷を負わせます。サタンがキリストのかかとを打つとは、十字架のことです。罪を購うためにキリストは一度敗北されますが、神によってよみがえります(だから、致命傷を負わないかかと)。両者の対決は今なお続いています。神の王国の実現のためには、罪と死を克服しなければなりません。そこに立ちはだかるのがサタンです。十字架と復活によって既に勝利がキリストと決まっているのですが、最終決戦が残されています。サタンは自分の敗北という結末を知っています。だからこそ、人々を罪と死に引きずり込ませようとしているのです。彼らはイエスの本質を「神の聖者」と言って見抜いています。彼らが神を求め、救いに与っているとは思えませんが。そこは謎ですが、かえって謎かけめいた書き方が「この方はあなたにとってどなたであられるのか?」と考えさせる著者の意図を感じます。イエスの教えは、この世には存在していない新しい教えです。私たちは福音からそれを知らされました。しかし、この段階では人々が「権威ある新しい教え」と驚きを表現されるだけにとどまっています。王としてのキリストを垣間見て、すべてを捨てて従った弟子たちは、このイエスを宣べ伝える使命があります。ですから、悪しき力を押しつぶす権威と力をイ エスに見ました。この方の支配を受けるならば、何者にも汚すことをお許しにならないことを弟子たちに示したのです。