2014年2月16日 エペソ人への手紙 -ふるい人を脱ぎ捨て、新しい人を着た-

その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、
エペソ4:22


講解説教No.27
エペソ4章22-24節

 主の民でありイエスの弟子であるクリスチャンは、キリストのからだである教会に加えられました。その教会を建て上げるために、この世の人々が歩むむなしい歩みをしてはならないこと、キリストに聞き、キリストに学ぶことが教えられました。その教えがどういうものかというのがきょうのところです。それが「古い人を脱ぎ捨てて…新しい人を着た」という教えです。他のパウロ書簡を照らし合わせてみると、「新しい人」とは「キリスト」のことです。「ふるい人」はアダムです。アダムとは血肉のもの、土で造られた者で、罪を犯して堕落した人間のことです。古き人を脱ぎ、新しい人を着たとは、古びたものを磨いて新しくするとか、新しいものに買い換えるという理解ではなく、全く別種、質も種類も新種のものになるという考えです。人はペットになれないし、ペットも人になれません。本質が違うからです。罪にまみれた人のいのちである古い人と、神のいのちとしての新しい人は全く相容れないものです。それを着たという本質的な存在の転換が起こったのだから、実に驚くべきことです。「キリストを着た」という一度限りの決定的がすでに起こったわけですが、聖書は「キリストを着なさい」(ローマ13:14)という継続、繰り返し作業も勧めています。キリストを着たのは一度限りですが、それをしっかり着こなすという聖化を教えています。罪に満ちた人が、これまで触れたことも、考えたこともなかったキリストを着たのですから、違和感を感じるのが普通です。パウロはこの聖化について「地上のからだの諸部分を…殺してしまいなさい」という表現さえ用いるほど真剣な仕事であることを教えています。この聖書のおしえにしっかり照らすと、古い人、とりわけ罪に対する甘さが目立ちます。これをキリストに教えられると目に見える成長を遂げます。