2014年5月25日 エペソ人への手紙 -互いに従いなさい-

「キリストを恐れ尊んで、互いに従いなさい。」
エペソ5:21


講解説教No.38
エペソ5章21節

 光の子としての具体的なもう一つの歩みは、「互いに従いなさい」です。従うという命令は他の聖書箇所にも多く出てきますが、ここは特別です。「従う」という言葉は「相手よりも自分を下に位置させる」という意味です。確かにパウロはピリピの手紙で「互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい」(3:2)と教えています。ただしピリピの手紙では教会の兄姉たちへの教えです。エペソの手紙は家族同士に教えられています。22節以降に「妻たちよ…夫たちよ…」と続いていることからそう言うことが出来ます。教会内だけに限らず、家族同士が互いに従い合うことに、この教えの重要さがあります。

 家族同士、互いに仕え合うためには、「キリストを恐れ尊ぶ」心が必要です。キリストを恐れるということは、私たちの行いに応じてさばきを下す主を恐れるというのではなく、キリストご自身を犠牲にすることを辞さないほどに愛してくださった、その愛のキリストを恐れ尊ぶということです。どうしたらキリストを恐れることができるでしょうか?5章で示されている教えに従うことです。それは①主に喜ばれることが何であるかを見分けること(10節)、②機会を十分に生かして用いること(16節)、③主のみこころは何であるかをよく悟ること(17節)です。これらに共通していることとして、時間がかかるということです。時短の時代で、生活に即効性が求められますが、これらを得るには忍耐を要します。その霊的作業を行なっている中で、むしろ逆に自らの力で光の子として歩むことができないことを体験することとなります。自ら相手を明るみに出すことも、御霊の満たしもない!枯渇していることがわかれば、満ちている方に求めるでしょう。空っぽな自分と溢れているキリストを知るなら、キリストを恐れるはずです。その恐れは知恵となり、家族同士わがままを言い合うのではなく、仕え合うことを可能とします。この実践はより強い光となって、世の人々を照らすでしょう。