2015年3月22日 ルカの福音書 -心の貧しい者は幸い-

イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話しだされた。「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものですから。
ルカ6:20


講解説教No.24
ルカ6章17-26節

「貧しい者」とは、神の前に打ち砕かれた者として、この世的な精神のとりこにならず、それらにより頼まない人のことです。世の中の考えは、自分を実現させるために、自己信頼、自己確信、自己表現を押し進めます。職業に成功したければ自分が成功者であるかのような印象を与えることが大切になります。そのためには持てるものは持ちます。物質的な物だけではなく知識、教育、資格、名声も。これらの中にも生活の手段として必要ですが、支配されてしまっては話が違ってきます。貧しい者の生活をこの世の人々は賞賛しませんし、軽蔑さえします。世の賞賛か、主に喜ばれるかです。「いま飢えている者は幸い」とは自分の正しさを実現するのではなく、神の備えてくださった正しさ(義)を熱心に求める人のことです。自分本位な欲に従った生活ではなく、福音に生きる人です。「いま泣く者は幸い」とは、キリストのために泣く者のことです。悲しみそのものは祝福ではなく、失われた人の悲しみも祝福ではありません。その失われた人のために泣く者が幸いです。「人々があなたがたを憎むとき…幸い」とは迫害を受けた者が幸いであり、「人の子のために」という動機で苦しみを受けることが何よりも大切です。ただの忍耐では喜びが生じません。私たちがキリストを愛するがゆえに耐え忍ぶとしたら、喜ぶことができ、天においての報いは大です。これらの幸いな者に対して、「哀れな者」は幸いな者の裏返しです。この世のものにより頼み、神の義を求めず、福音を伝える自己犠牲的な生き方よりも、自分の欲に従う者のことです。「みなの人がほめるとき…哀れです」人々に賞賛されるような福音?!を語ります。弟子たちを見つめながら、教えられたイエスは、私たちが幸いな者となることを願っておられます。