2016年9月18日 ルカの福音書 ー神への感謝ー

イエスの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリヤ人であった。
ルカ17:16


講解説教No.88
ルカ17章11-19節

 イエスがツァラアトを癒すとき、手を差し伸べて触れて癒す場合と(5:13)、全く触れることなしに癒す場合とがあるようです。今回の場合イエスのおことばによって癒しが実現したのではなく、彼らが祭司のところへ行く途中に癒されました。ツァラアトは宗教的汚れで、医者ではなく祭司がこの病だと判断し、或いはきよめられた、つまり癒されたと判断します。イエスが祭司に見せよと言われたのは、癒されたことを祭司に判定してもらいなさい、ということです。その行く途中に癒されました。彼らが祭司のところに行き始めたときにはまだ癒されていなかったのです。患部に触れ、癒されるという実感のないままイエスの命令のままに向かって行ったのです。10人はまだ起こっていない癒しの事実を信じて行動を起こした素晴らしい信仰者です(ヘブル11:1)。そのうちの一人だけがイエスのもとに引き返してひれ伏して感謝しました。そのサマリヤ人だけにイエスは「あなたの信仰があなたを救った」と言われました(新改訳は「直した」と訳しているがより相応しい訳は「救った」)このサマリヤ人から見た救いとは、感謝することです。10人とも癒されたという御墨付きをもらうために祭司のもとへ向かいました。社会復帰するためです。しかしサマリヤ人は途中で癒されたことを知った時に、祭司のもとへ行くのをやめて引き返しています。そして大声で神を賛美しイエスを礼拝したのです。彼は感謝しつつ礼拝を最優先したということです。主の恵みによって自分にはあれが出来る、この働きができると自分の信仰の歩みを整えることより、ただ感謝して礼拝することが何よりも大切です。感謝にあふれた礼拝者は、人間関係や学校、仕事で抱える様々な問題があったとしても「立ち上がって、行きなさい」と力強く前進できます。これから始まる1週間の歩みには計画通りよりも失敗のほうが多いかも知れません。しかしその中でこそ感謝をもって力強く歩むことができるのが私たちです。ですから、まずは礼拝からです。主よ、感謝します。