2017年5月7日 ルカの福音書-あなたのために祈りました-

しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい
ルカ22:32


講解説教No.114
ルカ22章31~34節

「サタンが…麦のようにふるいに…」ふるいとは粒の大きさによって必要なものと不要なものとを分けるための道具です。サタンが弟子をふるいにかけるとは、本物の弟子か、偽りかを分けるということです。そうして「もみ殻のように見せかけの弟子であって不要だ」ということを明らかにさせたいのです。キリストから引き離すことがねらいです。サタンのこの試みは神に願い出て聞き入れられて初めて可能です。神はなぜこの試みをおゆるしになられたのであろう?もしそれがなければシモンは苦しむ必要がなかったのでは?と疑問を或いは抱くでしょう。しかしここで扱う問題は神の采配でも、サタンでもありません。シモンにあります。この後彼は見事に挫折します。「ごいっしょになら…」に見られるのは彼自身の覚悟であって、イエスへの信仰(信頼)は見られません。問題はその覚悟、決意が信仰だと思っていることです。サタンはシモンのこの問題を突いてキリストから引き離そうとしました。信仰を勘違いしている人はサタンの試みの中で、その覚悟を自らが裏切ることになります。神があえて試みをゆるされたのは、真の信仰に成長してほしいからです。シモンが思っていた信仰ではもはや生きることはできないことが証明されました。ですから全く新しい信仰に生きるために、今彼の唯一の望みはイエスのとりなしの祈りです。それは神がひとり子イエスの十字架の贖いによって成し遂げ、罪の赦しを頂いた生きた信仰へと導きます。もしシモン流の信仰で行けばイエスの十字架は不要となります。この問題の打開に試みがゆるされたのです。挫折するほかない無力な彼はイエスの十字架を本当の意味で頼るでしょう。そこに正しい信仰があります。イエスはサタンのたくらみと戦ってくださいます。とりなしの祈りとその実践としての十字架をもって戦われます。