2017年9月3日 ルカの福音書 -空の墓-

…「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、お話になったことを思い出しなさい。」
ルカ24:5、6


講解説教No.127
ルカ24章1~12節

 イエスの十字架の死がもたらした悲しみは大きなものがあります。その女たちの望みはご遺体を埋葬することにあります。イエスをきちんと埋葬することで自分たちを慰めようとしています。死の支配の中にある人間は慰め或いは希望とは言い難いものからせめてもの慰めを得ようとします。こういう人の生き方はおのずと地上のことだけです(コロサイ3:1-5)。「キリストとともによみがえらされたのなら、上にあるものを求めなさい」(1)ということは、よみがえりの信仰に立たなければ、上ではなく地上のものだけとなります。きれいごとでは済まなくなり悪い欲を中心とした生活となります。女たちとともに空の墓の前に立たされている私たちは、どう立つか?が問われます。墓に遺体がなければ常識的に考えれば、誰かが持ち去ったという判断になります。けれども、御使いのことばによれば、イエスは復活したという判断になります。使徒たちは常識的に考えたことで、復活はたわごとと捉えました。女たちも最初は同じでしたが、みことばを受け入れました。この両者の違いは、イエスのみことばを思い出すかどうかによります。それはイエスの十字架と復活の言葉に限らず、イエスの力と慰めに満ちた教え全体を思い出すことになります。それ以外の何かを思い出しても、空の墓という現実から抜け出せることはありません。私たちも、墓の中から完全な死の状態から、完全な復活を遂げられたイエスとその教えを思い出すべきです。女たちはもう死の支配下で途方に暮れることはなくなりました。イエスを宣べ伝えずにはいられなくなりました。私たちも死の支配下にいる人たちに対して、証しするためにも、空の墓の前でどう判断するのか?試されています。