2018年5月27日 ペテロの手紙第一 -群れの模範となりなさい-

あなたがたは、その割り当てられている人たちを支配するのではなく、むしろ群れの模範となりなさい。             
Ⅰペテロ5:3


講解説教No.25
Ⅰペテロ5章1~3節
 
 万物の終わりに教会に迫る厳しい試練に際し、ペテロは教会の霊的リーダーである長老(使徒14:23、15:2、20:28,29)の必要性を教えました。長老は群れ全体に「気を配る」(使徒20:28)働きです。ペテロはこの働きを強制されてするのではなく自ら進んで行うことを勧めています。常に気を配る奉仕はメンタル的にも大変です。他の奉仕にも適用できますが、任せられた奉仕が大変になってくると「それでも責任だから、やらなくては…」と次第に積極性が削がれて行ってしまいがちです。一般の働きと奉仕の違う点は、「神に従って」自ら進んですることです。奉仕への意欲はその信仰から来ます。もう一つ大事な点は、何を動機として神に従って進んで行うのかということです。「…そこで…お勧めします」(1)とあるように、前章にある万物の終わりに主にあって苦しみを受けることを喜ぶことを動機として、この教えに従うのです。何が喜びなのか(4:12-14)、今一度確認してください。第二に、卑しい利得を求める心からではなく心を込めて行うように勧めています。その役得、奉仕のゆえに受ける利得のためではなく、その奉仕自体が与えるものでなければいけません。受けるよりも与えるほうが幸いであるというイエスの教えは全てに適用できます。第三に、群れを支配するのではなく、模範になることを勧めています。その群れは神が割り当てた神のものです。こちらが勝手気ままに自分の下に集めるのではありません。そうではなくて、群れの模範になるのです。イエスは弟子たちの前で彼らの足を洗うことで模範を示されました(ヨハネ13:5)。洗ってもらったペテロはイエスの真意が理解できませんでした(ヨハネ13:6)。わからない人には理屈を説明したくなるものです。しかしイエスはしもべとして仕えることを、ただ黙って行われたのです。これが模範です。そこに偉そうな部分は見られません。私たちの奉仕する姿も模範を示すことが求め
られています。ただ与えられた責任を果たすのではなく、主の教えに生きることを黙って行うのです。