2018年12月30日 ペテロの手紙第二 -聖い生き方ー

このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。
Ⅰペテロ3:11



講解説教No.20
Ⅱペテロ3章11-13節


 ペテロはクリスチャンたちに真理のみことばを思い起こさせるだけではなく、それを知った者としてふさわしい生き方が出来るように期待しました。彼は今の天と地は必ず滅びることを繰り返し教えています(7,10,12節)。その事実を信じた者としてのふさわしい生き方が求められています。それは第一に聖い生き方です。道徳的に聖く、正しいライフスタイルのことを言っています。神の救いに与っているのなら必ず聖い生活が出来ます。なぜなら神があなたを救ったのはこの地上で聖い生活をさせるためだからです。また、天地が滅びるという事実を忘れないように注意しなければなりません。人は信じたとおりに生きるからです。第二に天地が滅びると信じる人は敬虔に生きます。聖い生き方は生活、行動であるのに対して、敬虔な生き方は心の態度を意味しています。良い心は良い行動を生み出します。ペテロは第一の手紙で「妻の無言のふるまい」(3:1)、「心の中の隠れた人がら」(3:4)を証しの手立てとしました。また聖い生き方には神への恐れが必要です。「…心のうちで罪人をねたんではならない。ただ主をいつも恐れていよ」(箴言23:17)とあるように、天地を滅ぼす主への恐れを抱く者には聖い心と行動とが伴います。聖い生活をするクリスチャンが備えるべきは、神の日(永遠の新天新地)の来るのを待ち望むこと、その日が来るのを早めることです。その理由は「天が燃え崩れて、天の万象が焼け溶けてしまうから」です。「主の日」はさばきですが、「神の日」は神の勝利による永遠の状態(天国)のことを示します。その日が来るのを心待ちにすることは出来ますが、その日を早める、つまり神のご計画を変えることは出来ません。そうではなく、私たちがひとりでも多くの人に福音を宣べ伝えることによって、神の日の来るのを促進することは出来るのです。