2019年8月4日 コリント人への手紙第一 -霊的幼子からの脱却-

私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。
Ⅰコリント3:6


講解説教№19
Ⅰコリント3章5-9節

 教会の中でねたみや争いがあり、派閥を作ってしまったコリント教会に対して、パウロは霊的幼子と診断しました。そこから脱却するための第一の方法は、人ではなく神を見上げることです。そのことを「アポロとは何でしょう。パウロとは何でしょう…」とコリントの兄姉たちが派閥のリーダーに仕立てている人たちの名をあげて考えさえています。パウロは、私たちは「しもべ」、神に用いられた、ただの給仕するしもべに過ぎないと言いました。給仕する者を褒める人はいません。給仕する人を遣わした主人が褒められるべきです。確かにパウロは福音の種を蒔き、伝道の成果を上げた「植える」働きをしました。アポロは救われた人を育成する「水を注ぐ」働きをしました。しかし、いずれも成長させたのは彼らではなく神ご自身です。そのようにパウロは神を見上げさせることにより、霊的幼子から脱却させようとしたのです。第二の方法は、神に対して忠実であることです。パウロは植える者、水を注ぐ者は「一つ」と強調しています。救いの働きに対して、同じ目的を持ち、同じ動機を持って主に仕えているしもべとして一つと言うことです。「どれだけの人を救おうか、いかに成長に導くか」と私たちは願いますが、それらをすべて行う神に対して忠実に働きたいという願いで取り組むかが大切なのです。8節の言葉から、この働きの責任は一人一人にあることがわかります。神が一人一人に与えてくださった賜物を用いることによる責任です。「自分の労苦に応じて報酬を受ける」のですが、何を達成したとか、何人の人を救ったということではありません。自分の労苦に応じて、つまり頂いた賜物を用いて忠実に、主の命じられたことを行ったかどうかによる報いです。私たちは「神の協力者」とされました。神と共に働く特権を頂いているのです。神を見上げ、忠実になることで霊的成長を。