2019年8月25日 コリント人への手紙第一 -神の奥義の管理者-

こういうわけで、私たちを、キリストのしもべ、また神の奥義の管理者だと考えなさい。                                           
Ⅰコリント4:1


講解説教№22
Ⅰコリント4章1-5節


 パウロは、コリントの兄姉たちの霊的成長のために、教会のリーダーたちを「キリストのしもべ」と考えるように指示しました(4:1)。ここで語られている「しもべ」は奴隷船の中でも最下層の奴隷に当たります。奴隷は当然のように犠牲が伴います。船が沈没しかけると、船を軽くするために最下層の奴隷たちが真っ先に海に投げ捨てられます。パウロはここで、教会のリーダーたちはキリストに仕える者の中で最も仕えることを実践している身であることを主張したのです。それはイエスの教えを実践しているに過ぎないことです(ルカ22:24-27)。教会のリーダーたちは兄姉たちの必要を覚えて最も低く仕えているのですから、争いの材料になり得ないはずです。しかしそうなってしまったのは、救われた者たちが神に仕える者に変えられたことをわかっていないからです。パウロは兄姉たちにも「私にならう者となってください」(4:16)と願います。第二に、パウロは自分たちが「神の奥義の管理者」であることを教えました。仕える使用人的立場でありながら、家の管理的な大きな責任を任せられる人のことです。しもべでありながら、重要な神からのメッセージを預かっていたのがパウロたちです。この立場の人に求められていることは、語る雄弁さでも、威厳でもありません。忠実さです。これも主の教えに従っているに過ぎない事柄です(マタイ25:20-23)。人間的に見るならアポロは雄弁(使徒18:24)、パウロはおとなしい(Ⅱコリント10:1,10)と比較しかないでしょう。事実コリントの兄姉たちはそのようにしか見ていませんでした。見るべきは彼らが忠実であるかです。人からの評価は不要です。最終的に私たち自身を評価されるのは神です。それはキリストのさばきの座で、キリストによって必ず各人が評価されるのです。