2020年3月1日 コリント人への手紙第一 -福音に妨げを与えない-

しかし、私はこれらの権利を一つも用いませんでした。また、私は自分がそうされたくてこのように書いているのでもありません。私は自分の誇りをだれかに奪われるよりは、死んだほうがましだからです。              
Ⅰコリント9:15


講解説教№39
Ⅰコリント9章12-18

 使徒性を疑われ、教会からの報酬を食い物にしていると非難されたパウロは、報酬を受け取る当然の権利を聖書から明確に語りました。ただ彼はその権利が欲しいのではなく、むしろ権利を一つも用いないと言いました。教会から報酬を受け取らずに、生活費を稼ぎながら伝道したのです。その権利に対してさらにパウロは、権利を用いて自分の誇りを奪われるよりも死んだほうがましだとまで言いました。その理由は、キリストの福音に少しの妨げも与えたくないからです。かつてクリスチャンたちを迫害していたパウロの前歴は、クリスチャンたちに誤解を与えていました。彼らのために報酬を受け取りませんでした。もう一つの理由は、使徒として福音を宣べ伝えるという誇りを奪われたくないからです。パウロにとって福音を宣べ伝えることは、「どうしてもしなければならないこと(せずにはいられない)」であって、それを行ったことで誇りを得るものではありません。その働きは自分で選び取ったものではなく、主のあわれみで務めを任命されたものでした。大切な任務を委ねられるところに与えられる誇りこそがパウロの原動力です。自分が使徒として当然持っている権利を用いずに、無報酬で福音を宣べ伝えることがパウロの誇りであり、報酬なのです。この生きがいは、パウロが出会い、捕えられたキリストの姿から来るものです。万物の創造者、支配者であるキリストがその権威も力もお捨てになって、私たちと同じようになられたこと、失われた人々に仕え、何一つ報酬を求めなかったどころか、見捨てて逃げた弟子たちのため、侮辱する者たちのために孤独のうちに十字架で死なれたこと、それは実に、私たちの罪を赦すためであったこと、赦しと救いが全くの無償であったこと、この絶大な恵みこそが、パウロが無報酬で福音を宣べ伝える力だったのです。