2024年2月11日 宣教大会 主イエス様の模範にならって

人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのと、同じようにしなさい。 マタイ20:28 (Ⅱコリント8章1-7節) 喜んでささげるためにはどうしたら良いでしょう? 重荷とゆとりがあれば…?マケドニア諸教会は極度の貧しさと激しい試練を抱えながら、喜んでささげました(8:2)彼らの特徴の第一は自発的です(8:3)。受け身では喜びは生じません。旧約時代の神殿建設に携わったダビデをはじめイスラエルの民も、「自ら進んで」ささげました(Ⅰ歴代誌29章)。特徴の第二は力以上にささげたことです。力とは経済的能力のことです。彼らが受けた「苦しみによる激しい試練」は恐らく迫害によって仕事を奪われたことでしょう。収入がないのにどうして力以上のことができるのしょう? それでも彼らが喜んでささげることができたのは、「神のみこころにしたがった」からです(8:5)。そのみこころとは、異邦人クリスチャンたち(マケドニア諸教会)が、「聖徒たち(ユダヤ人クリスチャン)を支える」ことです。ユダヤ人クリスチャンと異邦人クリスチャンを一つにすることがねらいです。エペソ 2 章14-19節でそのことを「二つのものを一つに」と繰り返し語っています。その一つにしたものを「神の家族」と呼んでいます(エペソ 2:19)。救いの完成としての神の家 族を実現することが神のみこころです。この実現のためには人間の罪も死もひとかけらもあってはなりません。そのために神の御子が罪の身代わりとなって死なれたのです。私たちが救われたのは、神の家族に加わるためです。それが神のみこころですが、エペソ 1章10、11節を見ると、「みこころ」と「あらかじめ」という言葉がセットで使われています。つまり神のみこころは、あらかじめ定められたもので、天において既に決定しているものなのです。時が至れば必ず実現するものです。この定められた神のみこころにしたがうことが喜んでささげる秘訣です。これに対して、神には望んでおられるみこころがあることも知っておかなければなりません(エペソ5:16、Ⅰテサロニケ 4:13)。これらは信仰者の成長において、神の子どもとしてふさわしく生きるようにと神が期待をもって望んでおられるものです。これは私たちの意志に委ねられたものですが、定められたみこころは、人間の意志にかかわらず実現するものです。