2024年2月18日 説教テーマ あなたのみこころを行うことを 喜びとします

神わが神よ 私は あなたのみこころを行うことを喜びとします。あなたのみおしえは、私の心のうちにあります。 詩篇40:8 「極度の貧しさ」と「苦しみによる激しい試練」というマケドニア諸教会の現状で、どうして満ちあふれる喜びをもって、力(経済的能力)以上にささげることができるのでしょうか?理屈を超えた何かがなければ出来ません。神のみこころにしたがったからです。異邦人クリスチャン(マケドニア諸教会)がユダヤ人クリスチャン(エルサレム教会)を支えることが神のみこころです。生きることも困難なほど大変なエルサレム教会を支援すること自体、尊い働きなのですが、それを手段として両者を一つにすることこそがみこころなのです。「二つのものを一つに」(エペソ2:14-19)することであり、「神の家族」(エペソ2:19)を完成させること、救いの完成としてそれを実現させることが神のご計画なのです。この実現のためには人間の罪も死もひとかけらもあってはなりません。御子イエスキリストが身代わりの死と復活を遂げられたのはこのためです。このみこころはあらかじめ定められたもので、天において既に決定しているものです。時が来れば必ず実現します。このみこころにしたがうなら、喜んで力以上にささげることができます。注意していただきたいことがあります。神のみこころには、これまで見て来たような「定められたみこころ」のほかに、「望んでおられるみこころ」があります。例えば、私たちが「聖なる者となること(聖化)」も神のみこころですが(Ⅰテサロニケ4:3)、神の子どもとしてふさわしく生きるように、神が期待をもって望んでおられるものです。これは私たちの意志に委ねられているものなので、実現もするし、しない場合もあります。神は神の家族の実現のために、今なお働いておられます。旧約時代には隠されていた神のみこころが、イエスキリストによって明らかにされました。神はご自身のお考えを私たちに知らせたいのです。私たちがそのみこころを知り、したがうならば、神は私たち以上に喜ばれます。神が喜ばれていることがわかれば、私たちも喜びます。 献金だけではなく、奉仕も、私たちの日常の働きも、自発的かつ力以上に行うことができるでしょう。