2012年11月18日 使徒の働き-実践すべきは愛-

弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。 
Ⅰコリント9:22
          
講解説教74
使徒の働き21:17-26

 パウロが律法にそむく教えをしているといううわさがエルサレムのユダヤ人クリスチャンの間にありました(21)。伝道旅行の祝福された報告もつかの間、事が大きくならないかを心配したエルサレム教会のリーダーたちは、パウロへの敵視を払拭するために、律法(ナジル人の誓願)を行なうことを勧めました。律法を行なうことにはよらず、キリストの福音を信じる信仰による救いを宣べ伝え、その救いに預かった異邦人たちの恵みを報告したばかりのパウロに、あり得ない話です。ところがこれを受け入れるのです。パウロの考えと行動をどう理解したらよいでしょうか?

  自分の身を案じた?…いや、死の覚悟でエルサレム入りしています。かつての古い体質が?…いや、真の信仰と自由に生き、それを宣教している身です。*「律法の下(支配下)にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得するためです。」(Ⅰコリント9:20)に答えがありました。矛盾しているかのようなパウロの行動は、同胞を救い、真の信仰による自由を得さえたいための愛から出たものです。パウロは福音を宣べ伝えているのではありません。彼はその人々を愛したので福音を宣べ伝えたのです。彼は使命を遂行しているのではありません。人々を愛したから死覚悟で使命を遂行しているのです。「律法の下にある者のようになりました、律法を持たない者のようになりました、弱い者になりました…」(Ⅰコリント9:20-22)パウロは愛を論じていません。…なりました!と実践しています。

  愛を実践していたら、あなたの伝道や奉仕の考え、取り組みはどう変わりますか?