2014年2月23日 ともにおられる主

監獄の長は、ヨセフの手に任せたことについては何も干渉しなかった。それは主が彼とともにおられ、彼が何をしても、主がそれを成功させてくださったからである。
創世記39:23


創世記39章1~6節、20~23節

【2月20日(木)ドルカス会礼拝説教 使徒17:1-4,10-12 「聖書の取り組み方」】

 パウロが安息日に行なった説教と、それを聞いたベレヤのユダヤ人の対応から、聖書の取り組み方を学ぶことが出来ます。「私があなたがたに伝えているこのイエスこそ、キリストなのです」(3節)がパウロの伝えたいメッセージです。大切なのは、それを「聖書に基づいて」(2節)語ったことです。もちろんパウロのメッセージは常にそうですが、著者ルカは強調したいためにあえて記しました。聖書に基づくとは、パウロが聖書(このときは旧約聖書)を正しく解釈し、イエスの死とよみがえりとにおいて成し遂げられた歴史的事実を、聖書の成就の証拠として持ち出しました。聖書の事実を聖書からいかに引き出すかということが、聖書の取り組みで一番大事なことです。神のことばには力があるので、その力をそのまま提供すれば多大な影響を相手に与えることが出来ます。パウロが語った結果、多くのギリシャ人が救われ、また、事実が提供されただけに、それを認めざるを得ない状況と多数の回心者が起こされたことからユダヤ人のねたみも引き出されました。

 もう一点、ベレヤのユダヤ人たちがパウロの語ったことばに対して、「非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた」(11節)という対応は学ぶに値します。これは聖書を語ったパウロの聖書の取り組み方と同じです。語られた内容を聖書に照らして調べたのです。彼らが熱心に努めたことは、聖書の事実を確認することです。この作業はぜひとも真似したいのです。自分の経験や常識、或いは偏見にとらわれないで聖書に向かうことができるには、強い意識をもったトレーニングが必要です。