2015年4月5日 復活記念礼拝-主はよみがえられた-

しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、ありえないからです。
使徒2:24


使徒2章22-33節

 ペテロのメッセージの中心は「神はこのイエスをよみがえらせました」(24,32)と復活のメッセージです。「この方が死につながれていることなど、あり得ない」と、少し前までイエスを否認し、主のよみがえりも一度は疑ったペテロでしたが、実に挑戦的なことばを発しています。死に支配されることがないことを旧約聖書のことば(詩篇16:8-11)をもって説明しています。その中で「さらに私の肉体も望みの中に安らう」と語っていることばは、主イエス以外には誰もとり得なかった死に対する態度が示されています。死ぬべき肉体がよみがえりの望みに生きる!という意味です。人間の死への態度は「恐怖」のひとことに尽き、もう少し頑張っても「避けるべきもの」程度でしょう。イエスはよみがえられました。死はイエスを止めることができませんでした。イエスの復活は、イエスがまことの神の子であることを意味します。また復活は、イエスという罪のためのいけにえが神に支払われて、それが受入れられたことで、人の罪が完全に赦されることを意味します(ローマ4:25)。また復活は、私たちの救い主がいまなお生きて働いておられるということなので、私たちが窮地にあるとき助けることができることを意味しています。死に打ち勝たれた方が味方であるならどんなに心強いことでしょう。究極の助けは、私たち自身もよみがえるということです。イエスと同じいのちを頂いた者として、私たちも死に打ち勝つことができます(Ⅰコリント15:51,52)。この復活信仰に立つなら、どんな困難も耐えることができます。死者の中からよみがえられたイエスに信頼する者は、失望させられることがない、というのが聖書の約束です(ローマ10:11)。失望がなくなるわけではありません。かならず希望で終わるということです。